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2008年09月19日

flower

EOS-1Dmark2 with Leitz Summicron-R 50/2.0


花の一生というものを僕たちは見ることができるから
それが穏やかで美しいものであることを知ることができる。
産声を上げた僕たちがこうして育ち、花を咲かせ、
その間に多くの喜びや苦しみに身を預け
時には死におびえ、枯れることに抗いながら
懸命に何かを守ろうと右往左往したりもする。
もしも宇宙のかなたから僕らの一生を見ることができる存在があるのなら、
そんな僕たちの一生はきっと穏やかな、穏やかな出来事として
その目に映し出されるに違いない。

Because we can watch the life of the flower,
we can know that it is calm and beautiful.
We raise a first cry and grow up, a flower bloom
and leave the body with much joy and pains in the meantime
and run about in utter confusion to protect anything hard,
while fighting against dying. being sometimes frightened at death.
If there is the existence that can watch our life from the distance of the space,
it must be projected as our calm event, our whole life, surely calm by the eyes.

posted by daisuke-m : 2008年09月19日 15:50

COMMENT

radiaさん、ありがとう。

札幌はもう雪虫が舞い終わってしまったから、その姿は既に朽ちているんじゃないかと思う。
でも僕は視認できる姿はむしろものごとの仮の姿のような気もしています。だから別の意味も込めて、宇宙の彼方と言う曖昧な言葉を使ってみる。その方がしっくりと感じられたのでね。

宇宙の手助けを得るまでもなく、例えば仰るような大胆であったり激しいと言う尺度は、みんなそれぞれにとって違うのだろうと思っています。だからradiaさんがそのポジションにしっくりと感じられるのであれば、それはそう感じた時点で非常にニュートラルな生き方なのだろうと思いますよ。今を生きることなのだろうと思います。

それにしても、大盛況のようなのでなかなか登場できずにおりますが(笑)、radiaさん、いい写真を撮られますね。いつも拝見しては驚かされています。

post daisuke-m : 2008年10月19日 18:26

このひまわりとコメント、また見に来てしまいました。
周りに取り残されて、一人咲いていたこのひまわりも、
もうどこかに種を託して、姿はなくなってしまったでしょうか。

宇宙の時間で言えば、人がどんなに抗いたとしても穏やかな一瞬。
たとえもう少し大胆に激しく生きたとしても、どうってことないかもしれない。
それに最期に一人で咲いても、同じ所へ還って行けるのね。
自分ペースで気楽にいこうかな。
素敵なメッセージをありがとう。

post radia  : 2008年10月19日 05:33

radiaさん、ありがとう。

Blog開設おめでとうございます。楽しみなBlogが増えて嬉しい限りです。

これはもう秋の夜長の入り口のひまわり(笑)で、しかもほとんど日の光がなくなった時間ですね。周りは全部枯れて下を向いていて、この一輪だけ、きっとあまり日が当たらなくて、最後に咲いたんじゃないかと思います。
露出も足りないこの一枚がどうしても気になって、ずっと見ていた時に浮かんだ言葉です。

post daisuke-m : 2008年09月24日 17:49

秋のひまわり?
陽はあたらなくても美しく。
宇宙のかなたから・・・
そう想像するだけで、優しくなれそうです。

成り行きで、手探りでブログスタートしました。
一人遊び状態ですが 笑
よかったら覗いてください。

post radia (ふぁいん) : 2008年09月24日 14:43

Please send me yout comment.




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